記憶の連続性と子育てについて
最近、このツイートを見てから「記憶の連続性」や「子供を育てること」について考えている。
「小さい頃旅行に連れて行っても大きくなったら覚えてないから勿体ない」って人が意外に多いので伝えておくと勿体無くありません。
— 谷 英希 縫い場のない縫製工場CEO (@I_hideki22) 2021年8月15日
理由としては記憶とは連続したものだからです。例えば今の僕は3歳の記憶は殆どありません、しかし4歳の僕は3歳の記憶が残っています。
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上記のツイートに深く共感した。
今日の自分を作ったのは昨日の自分だし、明日の自分を作るのは今現在の自分である。ということはわかっていたものの、生まれてから今までの人生の連続性という視点は私にはなかったな。
小さい頃に遊んだり、叱られたり、人と交流したり、愛されたり、といった経験が人間性を決める要素のかなり大きな部分を占める。例え子供が成長した時に覚えていなくても、経験はその人を構成する一部であることには変わりない。だからこそ、子育てにおいては「子供の幸せ」をたくさん積み重ねる手伝いをしたいと思う。
ただ、違う子供に同じ育て方をしたとしても育つ人間は全く違う。そこは忘れてはいけないと思う。
料理に例えると、親が料理人で、子供が材料だ。この材料は子供によって違う。小麦粉や野菜、魚やお肉だったり、量や質や種類が様々。人それぞれ違う材料を与えられているのに、一概に「混ぜて焼いたら美味しくなります」なんてことは言えない。そんな魔法のレシピは存在しない。材料の本質を見極めて、必要な工程を踏むことが、美味しい料理を作ること。つまり、子供のことをよく観察して、理解に努めて、その時々に合わせて働きかけることが子供の個性や人間性を豊かにすることに繋がるんじゃないかなあ。
なんて、口で言うのは簡単だ。子育てなんてしたことないし、子供は好きだけど子供の泣き声は苦手。世の親御さんたちはすごいと思う。その時々にあった対応や育て方など、子育ての渦中においては考える余裕すらないだろう。子供は目を離したらいつ危ない目にあうかわからない。
だからこそ、子供と関わる機会はない今、こうやって深く考えておくこともまた大事な経験だなあと思う。
「〇〇するだけで上手くいく!」みたいな、全員に当てはまるアドバイスって、言う方も気持ちいいし、聞いてる方も責任を取ってもらえる気がして楽なんだよね。ただ、そんな上手い話ってなくて。置かれてる状況によって結果は変わってくる。一つだけ言えるのは、結果は選択して行動した本人の責任ということだけ。
子育て本の表紙ってすごいよね。「〇〇するな」「〇〇しろ」とか、タイトル見ただけではギョッとするような強い言葉の本も多い。こういうのって、自分の子供が幸せに育つか不安で、周りと比べたり自分なりの子育てを模索してる親にわかりやすく刺さるんだと思う。強い言葉に寧ろ安心するというか。この本に書いてあることをやっておけば子育てが上手くいく、みたいな風にも感じるのかも。
でも、親たちの子を思う気持ちに漬け込んだこんな本は私は読みたくない。子育て中の親ってある意味カモなんだろうな。子供の成長には正解がないから、言ったもん勝ちみたいな部分がある。強い言葉に惑わされず、目の前の子供と向き合って子育てしていきたいと思う。
もちろん、新しい視点を取り入れるという意味で本を読んだり人の話を聞いたりすることは大事!とても!
何が言いたいかわからなくなっちゃった。
つまり、記憶は幼少期から今までずーっと連続している。小さい時の経験は例え成長して忘れてしまっていてもその人の一部であることは間違いないので、子育てなど子供と関わる機会において、幸せなことや新しいことをたくさん経験させたい。ということです!
実の技
兎にも角にも本番に弱い。
緊張などとは全く無縁のような顔をしておいて、舞台裏では指先が氷のように冷たくなるし、心臓のテンポがpiù mossoになる。
いざ舞台に上がるとプライドだけは最後まで残っているので、余裕そうな顔を作ることだけに全力を注ぐことになってしまう。
もっと、あるだろう。アリアを歌うことがほとんどなのでそのオペラの流れを汲んでジュリエットだったらジュリエットの心情を思うとか、大きな1つのフレーズを心がけるとか、全身の力を抜くとか。
それがいざ舞台に立つと1つも出来なくなる。
舞台に立った私はもうジュリエットではないし、ロミオのことなんて考えている余裕はない。ただ余裕そうな顔を作ってお辞儀をして、縮こまって歌うだけだ。
緊張に打ち勝とうと小手先のことばかりする情けない私がそこにいる。
昨日の入試だってそうだ。絶対に受かるし、特待の程度を決めるくらいの入試なのに結局歌い終わった私には何も残っていない。
胸から上がガチガチに固まって機械音のような声で歌った。
いつまでこうなんだろう。
だから「◯◯のお母さんいたね!」「先生来てたね(笑)」なんて人たちが信じられない。嫌味じゃなく、なんで本番にそんな余裕があるの?
もっと大きな大きな音楽を、アリア一つに終止しない流れの中で私はジュリエットにならなければいけない。そして、余裕を持ち堂々とするべきだと思った。
客席にかとべんが居たら見つけられるくらいに。
勝手にふるえてろ
おさらい会前に時間がぴったりだったので、見てきた。
よしもとばななにしても綿矢りさにしても、面白いなーと思うのほぼ女性作家だなあ
原作読んだのは高校の時で、多分高3の春とか?かな、読みやすくてでも文章が軽すぎもしなかったので好きでした
もおねー、非リアっぷりが完全再現出来てた。松岡茉優のことあまり好きじゃなかったけど、あそこまでコミュ障の演技が上手だとは思わなかった〜。
妄想の中でだけ饒舌で、イチとの数少ない接触の記憶を数え切れないほど反芻する。カセットテープだったら擦り切れちゃうくらいに。
イチが名前覚えてくれてなかったところは切なかったなあ、いくらヨシカが暴走しまくっているとはいえかわいそうだった
同窓会開いたくだりで思ったけど妄想の中で生きてる人ってたまに行動力凄いんだよねー。わかる
何よりニの一途さが、たまらなかった
可愛い。最初ウザさしか感じなかったけど(もちろんそういうキャラだしね)ヨシカの行動に一喜一憂して真っ直ぐな想いで体当たりをしてくるニ が、本当に良かったです。
黒猫チェルシーのなんとかくん、別にイケメンじゃないじゃん
でもそこがリアルっていうかねー。とにかく良かった。可愛かった。
イチの出番が少ない気がしたんだけど殆ど妄想の中で実際に会ったのは2日だけだからかな?
あんまり顔を思い出せないや
とにかく、ニが最高でしたね
あとオカリナには笑ったね
なんだか集中力散漫だ
今日から東京
毎度毎度東京と言ってしまうが東京にいるのなんて3日目だけなんですけどね。
もーーーほんとにだめだ、今日
ボーッとしすぎている
まず空港から京急に乗る時にPASMOを落とした。母がいつも 私はSAPICAをすぐ落とすからSAPICA代は1000円ずつしか渡さない と言う。そんなに落とすわけないでしょと内心苛立っていたけど、そんなに落とします。
本当によく落とします。
今日は完全に無意識だった、今日も、か
改札通ってマフラーとコートとケータイとスーツケースを持っていたので完全にパスケースの触感が無かった
気付いた時には完全に羽田から遠ざかっていた。レッスンがあるので引き返せもせず、今日中に取りに行くということで預かってもらった。いま思えば3日目で良くなかった?
まあいいや
のちにレッスンへ向かう途中、横浜を完全に通り過ぎた。のちにというか同時進行か。
PASMOなくしてどうしようか考えているうちに、気付いたら乗換駅の横浜より4、5駅先に居た。
只でさえPASMOがなくてショックを受けているというのに…。先生がお待ちしてるのに…。
レッスンの調子はまあ可もなく不可もなく、毎回レッスンに行く前は本当に行きたくないのに受けている間、終わった後はとても充実した気持ちになる。素晴らしい先生なので当たり前ですね。
レッスンが終わりいざ羽田!と思うもまたしても横浜を通り過ぎる。これは東神奈川と横浜が隣だったのを知らなかったことが敗因。
それがなかったらあと20分くらい早くホテルに帰ることが出来ていたのか…誰も知る由がないですね。
羽田の駅員さんも良い人で、PASMO道中の往復は無料にしてくれた。ありがとうございます
とりあえず早く帰ってご飯を食べたい
忘れたい
何度でも鮮明に思い出せる
高校三年生の春
大袈裟だと言われるかもしれないけど今まで生きてきた中で一番ドロドロとした嫌な時間で一番時間が流れるのが遅かった
涙を我慢したから痰が詰まったように喉のあたりが不快で、胸より少し上のあたりがベルトでぎゅうぎゅうに締め付けられているみたいに苦しい
目の前の人は何も知らずに何をぺらぺらと喋っているんだろう。私が大好きな人たちについて根拠も何もないのに悪意だけはこもった言葉を向けられるのが本当に辛くて、早く逃げ出したい。涙を堪えるので精一杯だった
心配に見せかけた自慢話をひたすらに聞かされて適当な相槌を打つことしかできなかった
今までで生きてきてたくさんの楽しいこと、大好きな人、忘れちゃいけない言葉があったはずなのに一番に覚えているのがあの手を握られた時の感覚だということが情けない
ルイの9番目の人生
某e-maと見てきたよ。
洋画を見るのがめちゃくちゃ久しぶりで、(って思ってたけど美女と野獣見てたわ)
知ってる英語聞こえると嬉しいね
小さな頃からアクシデント続きで、何度も九死に一生を得てきたルイ。
ルイの誕生日に、ルイと母親と、別居中の父親と3人でピクニックへ出かけた。両親は些細なことから口論になってしまい、ルイは崖の下に突き落とされ昏睡状態になる。
残された母親や担当医師になったパスカルなどの身に降りかかる不可思議な事件。
果たして真実に辿り着くのは誰か。
以下公式あらすじ
少年ルイ・ドラックスは、大変な難産の末にこの世に生を受けてから、毎年のように必ず事故にあい、そのたびに生死の境をさまよってきた。そして9歳の誕生日に崖から転落したルイは、ついに意識不明の重体になってしまう。担当医のパスカルは必死にルイを救おうとするが、両親やパスカルなど周辺の人々の身に、不可解な出来事が次々と起こり……。
公式はあらすじ作るのが上手ですね()
九死に一生を得る、も「9」
9は国境を越えて生死に関係する数字なのかな
ママが怪しいだろって思ってたらやっぱりママでした。親族が不幸な目に合うことで自分に同情の視線が向けられる、それを至上の喜びとするナタリー。最後に描かれていたけど、パスカルとの間に身篭った子供はどうするのかしら。産むのかな。
黒幕だから当たり前って言えば当たり前だけど、ナタリーが飛び抜けて変わった人物
でも同情を向けられることで欲求を満たすって言うのは当てはまる人はたくさんいるだろうなあ