記憶の連続性と子育てについて

最近、このツイートを見てから「記憶の連続性」や「子供を育てること」について考えている。



上記のツイートに深く共感した。

今日の自分を作ったのは昨日の自分だし、明日の自分を作るのは今現在の自分である。ということはわかっていたものの、生まれてから今までの人生の連続性という視点は私にはなかったな。

小さい頃に遊んだり、叱られたり、人と交流したり、愛されたり、といった経験が人間性を決める要素のかなり大きな部分を占める。例え子供が成長した時に覚えていなくても、経験はその人を構成する一部であることには変わりない。だからこそ、子育てにおいては「子供の幸せ」をたくさん積み重ねる手伝いをしたいと思う。


ただ、違う子供に同じ育て方をしたとしても育つ人間は全く違う。そこは忘れてはいけないと思う。

料理に例えると、親が料理人で、子供が材料だ。この材料は子供によって違う。小麦粉や野菜、魚やお肉だったり、量や質や種類が様々。人それぞれ違う材料を与えられているのに、一概に「混ぜて焼いたら美味しくなります」なんてことは言えない。そんな魔法のレシピは存在しない。材料の本質を見極めて、必要な工程を踏むことが、美味しい料理を作ること。つまり、子供のことをよく観察して、理解に努めて、その時々に合わせて働きかけることが子供の個性や人間性を豊かにすることに繋がるんじゃないかなあ。

なんて、口で言うのは簡単だ。子育てなんてしたことないし、子供は好きだけど子供の泣き声は苦手。世の親御さんたちはすごいと思う。その時々にあった対応や育て方など、子育ての渦中においては考える余裕すらないだろう。子供は目を離したらいつ危ない目にあうかわからない。

だからこそ、子供と関わる機会はない今、こうやって深く考えておくこともまた大事な経験だなあと思う。


「〇〇するだけで上手くいく!」みたいな、全員に当てはまるアドバイスって、言う方も気持ちいいし、聞いてる方も責任を取ってもらえる気がして楽なんだよね。ただ、そんな上手い話ってなくて。置かれてる状況によって結果は変わってくる。一つだけ言えるのは、結果は選択して行動した本人の責任ということだけ。


子育て本の表紙ってすごいよね。「〇〇するな」「〇〇しろ」とか、タイトル見ただけではギョッとするような強い言葉の本も多い。こういうのって、自分の子供が幸せに育つか不安で、周りと比べたり自分なりの子育てを模索してる親にわかりやすく刺さるんだと思う。強い言葉に寧ろ安心するというか。この本に書いてあることをやっておけば子育てが上手くいく、みたいな風にも感じるのかも。

でも、親たちの子を思う気持ちに漬け込んだこんな本は私は読みたくない。子育て中の親ってある意味カモなんだろうな。子供の成長には正解がないから、言ったもん勝ちみたいな部分がある。強い言葉に惑わされず、目の前の子供と向き合って子育てしていきたいと思う。

もちろん、新しい視点を取り入れるという意味で本を読んだり人の話を聞いたりすることは大事!とても!


何が言いたいかわからなくなっちゃった。

つまり、記憶は幼少期から今までずーっと連続している。小さい時の経験は例え成長して忘れてしまっていてもその人の一部であることは間違いないので、子育てなど子供と関わる機会において、幸せなことや新しいことをたくさん経験させたい。ということです!